はじめに (苫米地事件との違い)
今回は、はじめに結論を知っていたほうが理解が深まると思ったので、はじめに結論を書きます。
どちらも最終的には、司法審査をしないという判決になっています。しかし理由が微妙に違います。
苫米地事件では統治行為論をほぼ純粋に認めています。
つまり高度に政治的な判断は、特に条件なく司法審査対象外となります。
それに対し今回の砂川事件では「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」
という条件つきの統治行為論となっています。
条文とその主旨
第9条 条文
第9条(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認):
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第9条は、おそらく日本国憲法の中でいちばん有名ではないでしょうか?
法に興味がない方でも、憲法9条といわれると「あぁ!戦争しないというやつね!」
とピンとくると思います。
内容としてはみなさんご存じの通り
戦争の放棄、戦力、交戦権を認めないことをうたっています。
そしてまた、これもみなさんのご想像通り
在日米軍や自衛隊に関する訴訟の重要判例がいくつもあります。
それでは見ていきましょう。
重要判例
砂川事件 最大判昭34・12・16
事件概要
この事件は、当時の東京都北多摩郡砂川町(現在の立川市)にあった、在日米軍立川飛行場内に基地拡張に反対するデモ隊数人が立ち入り、逮捕起訴されたものです。
その後には、単なる刑事事件という扱いにとどまらず、日米安保条約と憲法9条との整合性について争うものとなっていきました。
第1審 東京地裁判決 (伊達判決)
日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。
上記判決内容のように第1審では、米軍の駐留が違憲という判決を出しています。
同時に被告人全員を無罪としました。
これは当時としては在日米軍を違憲とした画期的な判決で、裁判長の名前をとり「伊達判決」と呼ばれています。
最高裁判決
判決文が長く、論点も複数あるため少し長くなります。ご容赦ください。
同条(9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
まず初めに、憲法9条は自衛権を否定したものではない。と述べた部分を紹介します。
同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
次に、我が国が主体となって指揮権・管理権を持っているのではない外国の軍隊は
9条2項の「戦力」にはあたらないとしています。
ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。
ここがこの判決の最も重要な部分です。
米軍駐留の根拠となる安保条約の内容やその締結は「高度の政治性を有するもの」であって最終的には「主権を持つ国民の判断に委ねられる」ということを理由に、裁判所は憲法判断をしないとしています。
もし今までの記事を見てくださっている方であれば、この言い回しに見覚えがあるのではないでしょうか?
そうです。憲法7条の判例で紹介した「苫米地事件」でも同じ言い回しが出てきましたね。
しかし、判決文の赤字の部分は苫米地事件と意見を異にしています。
詳しくは以下で説明します。
統治行為論について
前回の記事では話が難しくなるため避けようと思いましたが、知っておいたほうが理解が深まるかと思ったため、紹介します。
統治行為論とは
高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、司法審査の対象から除外するという理論です。
簡単に言えば「主権者である国民によって選ばれた議員」で構成される国会の高度な政治的判断に「選挙を経ていない裁判官、裁判所」が口出しするのを避けるという考えです。
さらには、法律判断が可能であっても、裁判所が立法府や行政府のあらゆる判断に口出しできてしまえば、三権分立の原則に反するのでは?という危惧もあります。
よって、この論理を展開すると「裁判所は憲法審査をしない」という判決が出てきます。
あとがき
今回はいかがだったでしょうか?
まだ紹介したい判例はありましたが、やはり内容が濃すぎて1回では紹介しきれませんでした。
次回もまた、楽しい、分かりやすい、ためになる判例紹介をできるよう頑張ります!
今回もご覧いただきありがとうございました!

